F-5E's   Page
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↑ 上写真2枚は、F-5E/74-01550同一機。1976年7月の配備直後の写真と1978年8月機首番号を大きく描いた時機の違いである。下の写真はラムシュタイン空軍機で展示されたものらしい。
↑ 1976年7月にイギリスのアッパー・へーウッド空軍基地で撮影されたf-5E/74-01545。大変珍しいが、機首番”45”が小さく書かれている。配備当初にこう言ったマーキングの試行錯誤があったのだ。
↑ 1978年9月イギリスのミンデンホール空軍基地で撮影されたF-5E/74-01532
↑ 1978年5月フランクフルトのラインマイン空港で撮影されたF-5E/74-01542
↑ 1980年8月 アルコンビュリ空軍基地で撮影されたF-5E/74-01534
↑ アメリカ本土で使われていたアグレッサーのF-5Eとマーキングが異なっていたのは、機体によって国籍マークが胴体中央に貼られていたり、機首のモデックスナンバーが、赤だけでなく黒に黄の縁付のものもあり ライトブルーのものも存在したことだった。
↑ 1976年7月にイギリスのアルコンビュリで撮影されたF-5E/74-01533。配備された直後で機首番号も未塗装である。
Wings
527th ASはF-16Cに機種交換して、本拠地をA-10AがいたイギリスのRAFベントウォーターズに移し、代わりにA-10Aがアルコンバリーに移動した。それまで使っていたF-5Eは、8機がミラマー海軍基地に送られトップガン訓練の飛行隊に割り当てられたと言う。
↑ 1979年2月ドイツのラムシュタインで撮影されたF-5E/74-01533。背景にはビットブルグのF-15やベントウォータースのA-10の列線。
↑ 1976年7月にアルコンビュリ空軍基地に配備された直後のf-5E/74-01543。アメリカ本国57th FWWのゴーストスキームと全く同一の迷彩。
↑ 1976年8月当時の西ドイツ、ラムシュタイン空軍基地で撮影されたF-5E/74-01535。上の一連の写真お判りのように、5機のF-5Eは塗装の色合い、迷彩パターンがほぼ統一されており、塗装工場で同時期に一括して作業が行われた結果であると想像する。
↑ 1980年代後半になると、空軍表記、国籍表示が中抜きのステンシルとなり、機体によっては胴体中央に527th ASの熊のインシグニアを入れた機体も少数だが確認されている。この部隊は、北海を訓練空域とするため、パイロットは冬季、フライトスーツの内側には必ず防水対寒服を着て訓練に出たとされる。